浄影寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
じょうようじ/浄影寺
中国陝西省長安の街西の通化坊にあった寺。隋の文帝は慧遠を六大徳の一人として長安に招き大興善寺に住せしめたが、慧遠の名声高く衆人が彼の下に参集し大興善寺が手狭になったので、皇帝は慧遠のために別に浄影寺を建立した。慧遠は開皇七年(五八七)から約六ヶ年ここに居住。そのため、この慧遠を東晋時代の廬山慧遠と区別して浄影寺慧遠と称する。浄影寺では慧遠門下によって涅槃宗が継承された。唐の玄宗の時代には不空も一時滞在した。
【資料】『続高僧伝』八
【参考】福山敏男「校注両京新記第三」(『美術研究』一七〇、一九五三)、小野勝年『中国隋唐長安・寺院史料集成』(法蔵館、一九八九)
【参照項目】➡慧遠二
【執筆者:佐藤成順】