桑原左衛門
提供: 新纂浄土宗大辞典
くわばらさえもん/桑原左衛門
一二~三世紀頃、生没年不明。鎌倉初期の武士。『四十八巻伝』三七によれば、武蔵の御家人という。武蔵国地域に桑原の地名は児玉郡桑原村(現・埼玉県児玉郡美里町)があるが、この地域の資料や伝承から彼の存在を確認することはできない。法然に帰依し、京都の祇園の北に草庵をむすび、口称の念仏に専心した。また、法然の像を刻んで報恩に応えようとした。法然は、その志に感じて、みずから開眼の供養をしたという。この真影の出来栄えがみごとであり、法然の生前の姿にそっくりであったという。それが現在の知恩院の御影堂に安置されている木像であると伝えられる。
【資料】『四十八巻伝』(聖典六)
【執筆者:小此木輝之】