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三心即一心

提供: 新纂浄土宗大辞典

さんじんそくいっしん/三心即一心

観経』に説かれる三心は、そのまま阿弥陀仏一仏を念じ、往生を願う一心にほかならないということ。『十七条御法語』において法然は「観経三心小経一心不乱…みなこれ至心信楽しんぎょう之心也と云り」(昭法全四六九)と述べている。つまり、『観経』に説かれる三心が『阿弥陀経』に説かれる「一心不乱」の一心に通じるということ、さらには『無量寿経』の第十八願文の「至心信楽欲生我国」もこれらと通じているとされる。良忠は『東宗要』において、三心即一心について「三心一心と成るとは願往生の心に三心を具すと云うなり。これすなわち三心同時に相応するを一心と名づくるなり」(浄全一一・九六上~下)と述べている。


【資料】法然『観経釈』、良忠『伝通記』四、『決疑鈔』二、五、『疑問抄』上


【参照項目】➡三心


【執筆者:長尾隆寛】