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覚親

提供: 新纂浄土宗大辞典

かくしん/覚親

生没年不明。インドの僧。覚親の名は『婆藪般豆法師ばすばんずほっしでん』に「仏陀密多羅、訳して覚親と為す」(正蔵五〇・一九〇上)とあり、おそらく梵名はⓈBuddhamitraであろう。法然は『無量寿経釈』で善導義補助の七師之中に「天竺覚親」をあげ、また『阿弥陀経釈』に「天竺には天親覚親同じく無量寿経に依りて論を作り自他往生を勧む」(昭法全一三一)と述べている。貞慶の『興福寺奏状』第三、第六失にも見られ、第六失では「覚親論師は、専修他を忘れて釈迦像を造らず。皆往生の願を妨げて大聖の誡を蒙る、永くその執を改めて、遂に西方に生ず」(『鎌倉旧仏教』三七)と、その事跡を記す。『法師伝』の覚親と、法然貞慶のいう覚親が同一人か否かは不明であるが、法然貞慶の用いた文献は同一のものと考えられる。


【資料】『婆藪般豆法師伝』(正蔵五〇)、『無量寿経釈』『阿弥陀経釈』(共に昭法全)、『興福寺奏状』(『鎌倉旧仏教』続・日本仏教の思想三、岩波書店、一九九五)


【参考】塚本善隆『日中仏教交渉史研究』(『塚本善隆著作集』六、大東出版社、一九七四)、大谷旭雄「善導義補助の七師と法然」(『法然浄土教とその周縁』坤、山喜房仏書林、二〇〇七)


【執筆者:金子寛哉】