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薬仙寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

やくせんじ/薬仙寺

神戸市兵庫区今出在家町。医王山。時宗円光大師御遺跡四十八所の番外札所。法然施餓鬼供養を始めたと伝える遺跡。寺伝では天平一八年(七四六)行基の創建という。法然建永の法難で流罪の途中に、行基が千人の僧を請じて供養したという兵庫の和田の千僧三昧所で一泊し、阿弥陀経千巻・念仏百万遍となえて亡者を供養したという(『正源明義鈔』七)。当寺は古くは千僧寺といい、法然は寺中の虚白堂に寄宿して、施餓鬼供養である水陸無遮会すいりくむしゃえを始めたという(『翼賛』四九)。初め法相宗、後に天台宗となるが、延文元年(一三五六)住僧の真如は、時衆国阿が当寺で念仏修行したとき弟子となり、名を直阿と改め、当寺を時宗改宗して中興開基となる。本尊薬師如来坐像・絹本著色施餓鬼図は国重要文化財。当寺で法然供養のときに書いた名号を写したと伝える名号石が近くの元祖教会新撰元祖大師二十五霊場第六番)にある。


【資料】名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』、『摂陽群談』一五(『大日本地誌大系』三八、雄山閣、一九七一)、『摂津名所図会』八(『版本地誌大系』一〇、臨川書店、一九九六)


【参考】浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)


【参照項目】➡元祖教会


【執筆者:山本博子】