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粟田口の禅尼

提供: 新纂浄土宗大辞典

あわたぐちのぜんに/粟田口の禅尼

一二~三世紀初期頃、生没年不明。法然伝には、法然入滅後、法然の夢を見た一人として登場する。『四十八巻伝』三八に「別当入道惟方卿これかたきょうの娘(或る説には孫と云々)粟田口の禅尼上人往生の後、二月十三日の夜の夢に、上人の墳墓に参りたれば、八幡の宝殿なり。御戸を開けたるに、御正体まします。傍らなる人、その御正体を指して、〈これこそ法然上人よ〉と言うを聞きて、信心起こり、身の毛弥立いよだち、汗流ると見る」(聖典六・五九六〜七/法伝全二四七)とある。この話は『四巻伝』四、『西方指南抄』中本に見えるのが早く、別当入道の孫というのみで粟田口禅尼の名はない。これ以後の『琳阿本』八、『古徳伝』九等からその名が見られる。別当入道惟方とは、粟田口別当入道とも号した藤原惟方のこと。平治元年(一一五九)検非違使別当となり、平治の乱では当初源氏方についたものの、その状況から平家方へ転じた。永暦元年(一一六〇)後白河院の勘気に触れ長門配流の際に出家法名寂信。粟田口の禅尼がもし惟方の娘であれば、『尊卑分脈』では六人の娘がおり、このいずれかに該当することとなろうが、関連史料は少なく確定は難しい。


【執筆者:善裕昭】