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真諦・俗諦

提供: 新纂浄土宗大辞典

しんたい・ぞくたい/真諦・俗諦

真実に対する二分法の一つ。真諦(Ⓢparamārthasatya)は勝義諦、第一義諦ともいう。また俗諦(Ⓢsaṃvṛtisatya)は世俗諦ともいう。諦とはわれわれが認識することがらのうち、「これは瓶である」「一切皆苦」といった、およそ客観的に真であると確認できるもののこと。ただこれらを仏教の教理に照らすと、そこにある真の度合いは一定ではない。その程度が低位の世間の常識等の一群を俗諦といい、その他を真諦という。世間出世間を分かつ基準の一つとなる。衆生世間に通底することば(言説ごんぜつⓈvyavahāra)に依存し、経験のあり方はその反映であるとされる。仏教では、「ある」とされるものの中にことばの投影としての虚構、仮有けう(例えば、人は五蘊の集合にすぎないとする捉え方)があり、これが世俗的な真実、俗諦である。一方、どこまでも実在性を失わないものが真諦であり、究極には言語を超越した実相のみがこれにあたる。ただし、仮設けせつの規定により二諦の線引きも多様である。


【参考】長尾雅人『中観と唯識』(岩波書店、一九七八)


【執筆者:小澤憲雄】