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用心行儀

提供: 新纂浄土宗大辞典

ようじんぎょうぎ/用心行儀

別時に称える念仏に限らず、勤行法要のとき、その他日常生活のあらゆる場面で念仏を称えるときにも、別時念仏同様、西に向かって見仏の想いをなして一心念仏するよう心がけること。良忠疑問抄』下では、聖光の言葉として「この三行儀の外に、用心の念仏の行儀有るべし。その故は、別時までは無くとも、もしは六時礼讃のついでに念仏し、もしは心の澄むの時には、別に用心して、見仏の想に住すべし」(聖典五・三六八/浄全一〇・五八上)とある。また、常日頃からこれが最後臨終の念仏であるという想いをもって念仏を称えることもいう。良心の『授手印決答受決鈔』下には「先師上人常に云く、三つの行儀の外に常に、只今は是れ最後と想う。此れを用心行儀と為す、と。即ち長楽寺の義に恒願一切臨終時に於いて切切に臨終の思いを成ずと云うに合す。此れを見仏用心と云う。臨終往生に必ず見仏有るべきが故に、臨終の思いを作し、見仏の思いを作すは是れ一事なり」(浄全一〇・一一九上)とある。


【資料】『浄土宗要集聴書』末


【参考】石井教道『浄土の教義と其教団』(宝文館、一九二九)、阿川貫達『浄土宗義概説』(浄土宗、一九五七)


【執筆者:髙橋寿光】