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無意識

提供: 新纂浄土宗大辞典

むいしき/無意識

意識がないこと、また日常において意識できない精神の領域。後者は潜在意識や深層心理などと同義である。英語のunconsciousあるいはsubconsciousやドイツ語のUnterbewusstseinに相当する。無意識には、意識がないことや気が付かないことを意味する一方で、意識下の潜在領域をも意味するように、二面性がある。後者の意味での無意識は、フロイトやユングに代表される近代西洋の心理学や哲学が問題としたものであり、その機能や理解は様々である。仏教では、特に唯識思想の八識説のうち、末那識まなしき阿頼耶識あらやしき無意識と理解されるが、このような概念によって把握される無意識の萌芽は、アビダルマなどに説かれる無想定や滅尽定という禅定に見て取ることができる。これらの禅定はその境地に入ると意識が停止すると述べられているから、まさに無意識状態で修する禅定であり、これらが深層意識としての阿頼耶識を要請した一因と考えられている。つまり修行者がこのような禅定に入ると、まったくの無意識状態となるが、この修行者が禅定から抜け出ると、禅定前と同様の心身を保持している。この保持は何の働きによるのかを考えた結果、阿頼耶識という無意識が説かれるに至ったとされるのである。このように考えると仏教の説く無意識が、修行者の体験に大きく由来することが理解できる。この意味で阿頼耶識などの仏教思想を、西洋思想の無意識と安直に結び付けることはできない。これらの概念は、学的批判を通してその共通性が認識されるべきものである。


【参考】袴谷憲昭『唯識思想論考』(大蔵出版、二〇〇一)、佐久間秀範「個人的無意識とbhavaṅgaviññāṇa」(『インド学諸思想とその周延—仏教文化学会十周年北條賢三博士古稀記念論文集』山喜房仏書林、二〇〇四)


【参照項目】➡阿頼耶識末那識


【執筆者:石田一裕】