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法然水

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほうねんすい/法然水

法然閼伽あか(仏へ供える水)を汲んだと伝えられる井戸。京都市上京区中之町通り中之町(相国寺旧松鷗軒境内)に「法然水」と刻銘された井桁のみが残る。この地は、もと上賀茂神宮寺の旧地であり、百万遍知恩寺の前身である。また法然比叡山より降りて居を構えたうちの一処で「賀茂の河原屋」とも称された。法然没後は源智が住して知恩寺とし、その後永徳二年(一三八二)、足利義満(一三五八—一四〇八)が同地に相国寺を創建するのに伴って一条油小路へ移ったが、井戸(法然水)のみがこの地に残り現在に至る。


【資料】『都名所図絵』一「相国寺」・三「長徳山知恩寺百万遍」(『新修京都叢書』六、臨川書店、一九九四)、『四十八巻伝』(聖典六)、『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』(『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』資料篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)


【参照項目】➡賀茂の河原屋


【執筆者:米澤実江子】


現在、仲津山浄土院西念寺(香川県仲多度郡まんのう町羽間)境内にある井戸で、「豆腐乃井戸」のことであり、「法然水」と通称する。西念寺は、法然四国配流(建永二年〔一二〇七〕)の際に滞在したとされる生福寺の跡地に建立された寺院で、同寺には「法然水」の他に「水鏡の御影」「立華の松」等、法然ゆかりと伝えられるものが残っている。


【参照項目】➡西念寺


【執筆者:米澤実江子】