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樹敬寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

じゅきょうじ/樹敬寺

三重県松阪市新町。法幢山宝延院。伊勢教区№九八。伊勢国の触頭ふれがしらであった。建久六年(一一九五)俊乗房重源ちょうげん東大寺大仏殿再建礼参りの帰路、松ヶ島(三重県松阪市)に草創した不断念仏院が起源と伝わる。正長元年(一四二八)北畠氏の兵火に遭う。享禄元年(一五二八)大樹寺勢誉の高弟である敬誉松颯により中興。寺号は敬誉が樹敬と呼ばれていたことからつけられた。現在の山号は昇誉天機によりつけられた。また、院号の由来は行基建立とされる三尊を宝延寺より迎えたことによる。天正一六年(一五八八)城主蒲生がもう氏の命により現在の地に移る。寛永七年(一六三〇)一七世乗誉堂宇再建。享保元年(一七一六)、明治二六年(一八九三)の松阪大火により全焼。同三五年に再建。また、明治一三年(一八八〇)三月明治天皇伊勢神宮参拝時の行在所となった。本居もとおり家の菩提寺であり宣長と子春庭の墓がある。


【資料】『蓮門精舎旧詞』一四(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)


【参考】宇高良哲『近世関東仏教教団史の研究』(文化書院、一九九九)


【執筆者:横井大覚】