操作

戸隠信仰

提供: 新纂浄土宗大辞典

とがくししんこう/戸隠信仰

長野県北部にある戸隠連峰に対する山岳信仰。戸隠山(一九〇四メートル)を主峰とする戸隠連峰は、その山容が屹立した絶壁であったため、九頭竜神に見たてられたことから戸隠信仰が発生したという。伝承によれば嘉祥二年(八四九)に学門行者によって開山したとされる。平安期には戸隠山顕光寺が成立して、天台系の修験道場として発展した。一一世紀には、本院・中院・宝光院に分立し、三院の周囲には住坊が立ち並んだ。一三世紀には浄土信仰が流入し、極楽往生を願い、『法華経』の寄進が行われた。室町期に書かれた善光寺の参詣記によれば、善光寺を参拝した後、戸隠にも詣でることが多かったようである。戸隠十三谷三千坊と称したように修験者によって繁栄したが、戦国時代には上杉と武田の戦乱に巻き込まれ、山域は損害を受けた。江戸時代には、天台宗の東叡山寛永寺の末寺となり、御師おしたちの配札によって信仰圏が確立されたが、明治初年の神仏分離によって戸隠山顕光寺は戸隠神社となった。


【参考】信濃毎日新聞社戸隠総合学術調査実行委員会編『戸隠—総合学術調査報告—』(信濃毎日新聞社、一九七一)、戸隠神社編『戸隠信仰の歴史』(戸隠神社、一九九七)、同編『図録戸隠信仰の世界』(同、二〇〇三)


【参照項目】➡山岳信仰


【執筆者:大澤広嗣】