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左京大夫信実の伯母

提供: 新纂浄土宗大辞典

さきょうのだいぶのぶざねのおば/左京大夫信実の伯母

一二~三世紀頃、生没年不明。『四十八巻伝』二四に、「法性寺の左京大夫信実朝臣の、伯母なりける女房」(聖典六・三六一)が登場するが、この女性が、法然に質問をし、その返事を記した手紙が、同伝記に所収される。その手紙と同内容のものは、『拾遺和語灯録』中にある。同書では、「示或女房法語」と題し、同書の元亨元年(一三二一)版や正徳五年(一七一五)版では、誰宛のものか明記していない。信実とは、鎌倉期に活躍した歌人・画家である藤原信実寂西)のこと。左京大夫とは、京都の左京の民政全般を担当する京職の長官。信実の父は、同じく歌人・画家の隆信隆信の姉妹は「少将通能室」と「大弐実清室」の二人がおり、信実の伯母とは、そのいずれかのことと考えられる。また、信実の母は、藤原長重の娘であるという。


【資料】『尊卑分脈』(『新訂増補国史大系』五九・一五七~八、吉川弘文館、一九七七)


【参照項目】➡寂西藤原隆信


【執筆者:角野玄樹】