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妙慶院

提供: 新纂浄土宗大辞典

みょうけいいん/妙慶院

広島市中区小町。海雲山来迎寺。広島教区№六一。『知新集』によると、慶長五年(一六〇〇)福島正則が安芸・備後両国赴任に際し、安芸郡尾長山にあった来迎寺を新川場(現在地)に移し、寺領二〇〇石を寄進して菩提所と定め、その母照雲院の法名より妙慶院と号した。正則奥方が明智光秀の妹であったことから甥の光秀遺児・増誉快応を開山に迎えた。元和五年(一六一九)の改易で浅野入城後、広大な境内地は数箇寺に分割されたが、触頭ふれがしらの役を果たした。正則の母照雲院と妹大雲院の墓碑が現存する。宝暦八年(一七五八)、享和元年(一八〇一)、慶応三年(一八六七)と罹災した。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』(『増上寺史料集』六)、宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)


【執筆者:加用雅信】