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因中説果・果中説因

提供: 新纂浄土宗大辞典

いんちゅうせっか・かちゅうせついん/因中説果・果中説因

原因の中にある結果を説くことが因中説果、結果の中にある原因を説くことが果中説因である。『北本涅槃経』三七には「如来、ある時は因中に果を説き、果中に因を説く。世間の人の、泥すなわちこれ瓶、縷すなわちこれ衣と説くがごとし。是れを因中に果を説くと名づく」(正蔵一二・五八三中)とあり、材料(因)である粘土や糸を、その製品(結果)である陶器や衣服として説くことが、因中説果であるとする。その逆で例えば良い絵画を見て、善い書き手がいるということが果中説因とされる。また法然は『四箇条問答』において「極楽聖衆と云は、因中説果の義なり」(昭法全七〇三)という。これは『観経』の「この人は、これ人中の分陀利華なり。観世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友となる」(聖典一・三一四)について観音・勢至の両菩薩が、現世念仏する人の友となるのは、念仏を称えることでその人が聖衆となり、両菩薩と友になる結果が定まっているから、念仏を称える因の中に両菩薩が友となるという果を説いていると理解している。


【資料】『大智度論』四三


【参照項目】➡因果


【執筆者:石田一裕】