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提供: 新纂浄土宗大辞典

も/喪

死者を出した家で、死者のために一定期間もる風習。またその期間における、日常生活とは異なった生活様式のこと。喪に服することを服喪、喪の期間に着用する着物を喪服、喪に服する期間のことを服喪期間あるいは忌中ともいう。このような風習は世界各地にみられる。中国では死者に対する礼とされたが、古代日本にあっては、死者の霊がもどる(生き返る)か否かを確かめる期間でもあった。すなわち、死者のために建物(喪屋もや)を建て、ひつぎを中に置き、柩に食膳を供して歌舞を行った。また、喪屋での服喪期間は別火生活を伴うことが一般的であった。別火とは服喪期間の煮焚きと日常生活のそれとを異にすることである。火は何物をも焼き尽くすことで払除ふつじょ儀礼に用いられる一方で、火もまた死の穢れを感染させると信じられていたことを意味する。大化薄葬令でもがりが禁止される以前は、この期間に殯宮もがりのみやで霊的存在を生き返らせる儀礼が行われた。それ以後、喪屋の儀礼通夜に変わり、服喪の様式を残留させた。『養老令』の喪葬令や江戸期の服忌令の規定が出て、次第にその姿を変えていった。喪の期間は死者との血縁の濃い者ほど長く、喪服は葬送の際しか着用されなかったが、期間も次第に短縮化の方途を辿った。また、黒い布やリボンを腕に付ける喪章は明治以降のものである。喪章は、初期には弔問者も着けていたが、後には喪章が喪家関係者のみの着用となり、喪家関係者と一般弔問者との区別に用いられるように変わってくる。服喪期間が終わった忌明けを喪服を脱ぐ意味から除服ともいう。


【参考】柳田国男「葬送の沿革について」「葬送沿革史料」(『定本柳田国男集』一五、筑摩書房、一九六三)、井之口章次『仏教以前』(古今書院、一九五四)、圭室諦成『葬式仏教』(大法輪閣、一九六三)


【参照項目】➡忌み


【執筆者:藤井正雄】