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公共性と宗教

提供: 新纂浄土宗大辞典

こうきょうせいとしゅうきょう/公共性と宗教

平成二年(一九九〇)頃から、わが国でも「公共性」や「公共哲学」といった言葉がよく使われるようになった。哲学者の山脇直司は、「公共性」というコンセプトが従来の「公私二元論」ではとらえきれない広がりを持つことを指摘している。そして、「政府の公/民の公共/私的領域」の相関三元論の視点から物事を考えなければならない、とした。たとえば政治においては、NPOやNGOが公共性の担い手として登場してきた。また経済においては、汚職や食品問題、自動車リコール問題などに見られるように、公共的ルールや公益というかたちで公共性が問題になる。その他、環境・医療・教育など、さまざまな領域で「公共性」という観点が重要視されるようになってきた。宗教においても、従来の公私二元論では「宗教の公共性」を論じることが難しいため、右の相関三元論の視点に立つことが望まれる。時代を遡るが、太平洋戦争が終結した二年後の昭和二二年(一九四七)七月、日本宗教連盟の主催により「全日本宗教平和会議」が開かれ、「二度と戦争をくり返さない」との決意を込めた『宗教者平和宣言』が採択された。同二五年六月の朝鮮戦争勃発後は、戦争に対する不安がまたたく間に日本全土に拡大し、宗教者らによる各種の平和運動が展開された。たとえば、同二六年には東京で「仏教徒平和懇談会」が結成されている。その他、同四五年から五年に一度の割合で開かれている「世界宗教者平和会議」、同六二年から毎年開催されている「比叡山宗教サミット」、平成三年(一九九一)に勃発した湾岸戦争の際三千人近い戦争避難民の移送に貢献した「湾岸避難民救援実行委員会」、同一二年から始まった「子どものための宗教者ネットワーク」など、じつにさまざまな宗教団体およびその連合体が、世界平和の実現、貧困や差別の撲滅、地球環境の保全などをめざして、種々の活動を展開している。それらの活動は、もちろん政府が協力する場合もあるが、基本的に国から指示されたものではなく、諸宗教信者たちが自ら進んで展開しているものである。宗教には国家の「公」とは異なる「公共的次元」があり、「公共世界」における宗教独自の社会活動が期待されている。今後、日本の仏教関係者も、「自分たちは宗教という公共的次元を担った集団の成員であり、公共的責任を持っている」ことを自覚しながら社会活動をおこなうことにより、多様なかたちでますます日本やアジアや世界に貢献できるであろう。


【参考】山脇直司『公共哲学とは何か』(筑摩書房、二〇〇四)、星川啓慈『対話する宗教—戦争から平和へ』(大正大学出版会、二〇〇六)


【執筆者:星川啓慈】