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俱会一処

提供: 新纂浄土宗大辞典

くえいっしょ/俱会一処

極楽浄土往生を遂げた者が聖衆と会うこと、広義には往生人同士が浄土で再会すること。『阿弥陀経』に説示される「諸もろの上善人と俱に一処に会する」(聖典一・三一八/浄全一・五三)を典拠とし、さまざまな経疏に言及される。源信は『往生要集』第二欣求浄土門浄土十楽を明かすなか、第七聖衆俱会の楽をあげて解説している。法然も『阿弥陀経釈』において俱会一処解釈するなか「又いまだただ此等の聖衆に会するのみにあらず。よく我等無始より已来、父母・師長・朋友・知識・妻子・眷属は前に去る者有り、けだし亦相見すること有らんか。之を以て之を思うに、生々世々、父母・師長・妻子・眷属・朋友・知識に相見せんと欲する者は極楽往生す可き者なり」(昭法全一三四)と広く往生人同士の再会について言及し、『正如房へつかわす御文』では「ただかまえてかまえて同じ仏の国に参り合いて蓮の上にてこの世のいぶせさをも晴るけ、ともに過去の因縁をも語り」(聖典四・四二五/昭法全五四一)と俱会一処の真実をしたため、「露の身は此彼ここかしこにて消えぬとも心は同じ華のうてなぞ」(聖典四・四八八/昭法全八七七)とその喜びを和歌に詠んでいる。


【参考】林田康順「法然上人における俱会一処への視座—親鸞聖人との対比を通じて—」(『石上善應教授古稀記念論文集 仏教文化の基調と展開』二、山喜房仏書林、二〇〇一)、同「自殺と自死—浄土宗僧侶に求められるもの—」(『総研叢書』六、浄土宗総合研究所、二〇一〇)


【執筆者:林田康順】