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三枝樹貫道

提供: 新纂浄土宗大辞典

みえきかんどう/三枝樹貫道

明治七年(一八七四)一月一日—昭和二九年(一九五四)九月八日。徳蓮社通誉玄阿。あざなは台水または宝林庵とも。愛知県海西郡出身。浄土宗本校、専門学院に学び大鹿愍成おおしかみんじょうに師事し性相を研究。第二第六教校教授を経て、明治三八年(一九〇五)和歌山県日高郡九品寺に董住したが二年後第五教校教授として京都へ赴任。さらに宗教大学専修部教授兼幹事を務め同四四年に第六第七連合教校(上宮中学)校長となり尼崎甘露寺に転住。大正六年(一九一七)佛教専門学校講授として唯識を講じた。昭和三年(一九二八)に宗会議員になり宗政にも関与。審議会委員、兵庫教区教務所長、知恩院執事長を務めた。同二二年一元化運動に端を発して辞任。


【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)


【執筆者:市川定敬】