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一音教

提供: 新纂浄土宗大辞典

いっとんぎょう/一音教

釈尊説法はただ一つであるということ。一音説法ともいう。代表として『維摩経』仏国品の「仏は一音をもって法を演説したもう、衆生は類に随いておのおのを得る」(正蔵一四・五三八上)が挙げられ、例えば『往生要集』における仏の無礙弁説の説明に引用されている(浄全一五・九七上)。釈尊は一音のみで法を説いたが、聞き手がそれぞれの分に応じて理解するため、多くの異なった解釈を生ずるということ。善導釈尊を讃じて「如来の教法は元、無二なり。正しく衆生の機の不同なるが為に、一音を以て演説したまえば、縁に随って悟る」(『法事讃』下、浄全四・一五下)と記しており、『般舟讃』にも同義の文がある。また一音教を一音宗という場合もあり、『決疑鈔』一(浄全七・二〇一上)、『釈浄土二蔵義』一(浄全一二・一五下)、『浄土略名目図見聞』上(浄全一二・六五八上)では、教相判釈を説明する中で取り上げている。


【執筆者:齋藤蒙光】