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カウンセリング

提供: 新纂浄土宗大辞典

カウンセリング/counseling

心理的な問題での苦しみや悩みを訴える人(クライエント・来談者)と、寄り添ってそれを聴く人(カウンセラー)とが対面して行われる相談活動で、問題解決や適応援助や心理的成長を目指す。カウンセリングには、二つの道がある。 ①指示的カウンセリング—その道の専門知識・技術を持つカウンセラーが、訴えの中から問題解決の方策を見出し、指示し助言して問題解決をしていく。 ②非指示的カウンセリング(来談者中心療法カウンセリング)—来談者があくまでも主体者であり主導権を持ち、カウンセラーは徹底して寄り添いその悩みを傾聴していく。そして、来談者の心理的成長を目指し、適応や精神的健康回復を援助する。

来談者中心のカウンセリングは、アメリカのカール・ロジャーズ(一九〇二—一九八七)の提唱に始まる。その特徴は、次の通りである。①人間は必ず成長し発展し適応してゆくものであり、そのための力を秘めている。その人間性の力へ徹底的に信頼を置く。②カウンセラーの資格必須条件は、自己一致・受容・共感的理解を保持すること。カウンセラーは来談者を、あるがままに・無条件的に・肯定的に受容できねばならない。

浄土宗において、ロジャーズ理論の人間性と受容の無条件性を採り上げたのは、恵谷隆戒結縁授戒講話』においてである。「ロジャーズは、人間は生れながらにして、成長性・健康性・適応性を持っている。それをすなおに育成するところに精神正常者が育成され、それをゆがめることによって精神異常者、不良青少年が出てくるのであるという意味のことを主張している」(同書七五頁)と、また、ロジャーズの受容の無条件性を用いて「仏の慈悲は、無縁の慈悲と呼ばれるもので、無条件的な愛情で…菩薩としての必須条件である」(同書六一頁)と述べ、従来の無縁慈悲を無条件の慈悲として理解している。

浄土宗僧侶に求められるカウンセリングは、専門知識・技術を駆使して問題解決の方策を指示するものではない。徹底しての傾聴、それも受容の心(仏心、無条件の愛情)での寄り添いによる傾聴である。傾聴のために大事なことは、まず「凡夫凡夫に寄り添う」ということを認識することである。来談者(クライエント)が、三毒煩悩に苛まれて苦しみ悩む凡夫であることはもちろんのこと、寄り添うカウンセラー僧侶も「私もまた凡夫である」という自覚を有さねばならない。あくまでも凡夫凡夫に寄り添うのである。そして、来談者に寄り添う際には、今なされている言動や姿、問題行動等は、散々やり尽くした末にようやくたどり着いた姿なのだと捉え、現状を「今できる唯一のこと」「悲しいまでの精一杯のこと」と、ありのままに・無条件に・肯定的に受容するのである。カウンセラー僧侶自身の悩み苦しみは、念仏の声に乗せて、阿弥陀仏に聴いていただくのである。


【参考】カール・ロージァーズ「カウンセリング」(『ロージァーズ全集』二、岩崎学術出版社、一九六六)、恵谷隆戒『結縁授戒講話』(浄土宗、一九八一)、中原実道「仏心と受容の心」(『仏教とカウンセリング』二八、一九九三)、同「より添う心」(『仏教とカウンセリング』三二、一九九七)


【執筆者:中原実道】