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J3060 浄土宗史 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0670A01: き他の宗侶の事跡を傳ふるもの極めて寥寥たり。元
J20_0670A02: 祿年中京都綾小路歸命院懷山其門下靈山相次で。淨
J20_0670A03: 統略讚及淨源脈譜を著し一宗の宗脈傳統を圖示し。
J20_0670A04: 享保十二年鸞宿之を增補し且つ略傳を附して。宗脈
J20_0670A05: 系圖と僧傳とを併せ知らしむるに足るべきもの三卷
J20_0670A06: とし之を淨土傳燈總系譜と題せり。又寶永元年近江
J20_0670A07: 國松江稱名寺宣譽心阿。淨土本朝高僧傳八卷を著
J20_0670A08: す。或は淨土鎭流祖傳と號す。頗る誤謬多しと雖も
J20_0670A09: 開宗より元祿頃に至るまでの著名なる高僧の傳記を
J20_0670A10: 網羅せり。かくの如く史傳の攻究編纂に着目從事す
J20_0670A11: る者漸く輩出するの傾向を生じたるの際にあたり。
J20_0670A12: 彼は此傾向を促進すべき抱負を以て起ちし者なる
J20_0670A13: が。其餘りに文章の華美を衒ひ。動もすれば其實を
J20_0670A14: 遺るる傾あるは惜むべきなり。
J20_0670A15: 大我一七〇七 一七八一字は孤立。白蓮社天譽と號す。赤穗藩
J20_0670A16: 士某の子。故ありて乳母蓮心に養はれ。幼にして厭離
J20_0670A17: の情を催し。自ら髮を斷ち湯島靈雲寺に入り慧光和
J20_0670B18: 上に禀戒す。靈雲寺に在りて内外諸典を學ぶこと殆ん
J20_0670B19: ど十二年なりしが。衆侶の嫉妬により寺を出て天下
J20_0670B20: の名山靈地を遊歷すること數年。遂に吉野西行菴に留
J20_0670B21: 錫し。奧院に往詣して苦修練行す。一旦感ずる所あり
J20_0670B22: て密敎を廢めて淨土に歸す。是實に享保十六年廿三
J20_0670B23: 歳のことなり。吉野を出て江戸に歸り明師を淺草大悲
J20_0670B24: 閣に祈請す。啓示により鎌倉に赴き稱譽眞察に謁す。
J20_0670B25: 爾來眞察に隨逐すること十年にして深く宗要を翫味
J20_0670B26: し。傍ら四方の學匠を訪ひ法華華嚴戒律禪等參究せ
J20_0670B27: ざるなく。其他儒敎國學武技諸禮に至るまで究めざ
J20_0670B28: るなし。眞察の知恩院に轉ずるや之に隨從し。延享
J20_0670B29: 二年眞察寂後。知恩院を下り紫雲山下松風軒に隱れ
J20_0670B30: 專ら道業を修し又藏經を閲す。寬延三年山城八幡正
J20_0670B31: 法寺を董す。數年ならずして山務に倦み佯狂して寺
J20_0670B32: を出て。岡崎の地に菴を結び夢菴と號して居る。幾も
J20_0670B33: なく增上寺定月之を招き詩韻唱和の友とす。江戸に
J20_0670B34: ありては姥池愛蓮庵に寓し武藏野の草端房と稱す。

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