浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0272A01: | 碩が十念と聞つどひて日日群集したりしを以不日に |
J20_0272A02: | 其工を終りしと也よりてかの供養の爲に此地へ念佛 |
J20_0272A03: | 堂を建立し常行念佛を始たりしが是又信仰の人人多 |
J20_0272A04: | くつどひて參會せしかば誰かれとなくここを靈巖寺 |
J20_0272A05: | の念佛堂と唱へたりしより今も其名殘りて地名のご |
J20_0272A06: | とくいひ傳へりと其のち珂碩此地に住して數多の佛 |
J20_0272A07: | 像を造營し最後に荏原郡奧澤村にて靈地を開きかの |
J20_0272A08: | 數多の佛像を安置して九品山淨眞寺と號し己もそこ |
J20_0272A09: | にとどまりて示寂せしと云今もかの奧澤村淨眞寺に |
J20_0272A10: | 昔此常念佛堂にて用ひたる攝待茶釜或は飛茶釜と云事は淨眞寺縁起に見へた |
J20_0272A11: | りと稱するものあり其銘に奉寄進鑵子一口爲二親菩 |
J20_0272A12: | 提寬文八年霜月廿五日常念佛九百日武州豐島郡葛西 |
J20_0272A13: | 莊大島村常念佛堂什物沙彌淨正山城國宇治之里宮本 |
J20_0272A14: | 仁左衛門とありこれによれば常念佛を創せしは寬文 |
J20_0272A15: | 六年の事と見えたり |
J20_0272A16: | 所屬末宇 |
J20_0272A17: | 東叡山領坂本紫雲山英信寺 |
J20_0272B18: | 境内五百坪外七百三十三坪寄進地内三百五十坪は寬 |
J20_0272B19: | 永二酉年九月卵塔塲に差免され三百八十三坪は元文 |
J20_0272B20: | 元辰七月仕添地卵塔塲と成開山本山の開祖花頂山住 |
J20_0272B21: | 務中松平壹岐守英信卒去ありしかば丹波州笹山城主 |
J20_0272B22: | 松平紀伊守より起立し請じて開祖とす故ありて豐後 |
J20_0272B23: | 州杵築城主松平志摩守駿河州小島領主松平丹後守同 |
J20_0272B24: | じく創業を助成す本堂七間四面本尊彌陀佛三尊左の |
J20_0272B25: | 壇に右三家の靈〓を安置す寬永八年起立 |
J20_0272B26: | 同領金杉東國山中養院西念寺 |
J20_0272B27: | 古跡境内百六十四坪三勺開山願蓮社誓譽的山上人 |
J20_0272B28: | 淺草山谷月光山覺道寺春慶院 |
J20_0272B29: | 境内年貢地表十二間裏三十一間開山圓蓮社團譽禪林 |
J20_0272B30: | 上人始源壽院と云大檀那花屋春慶大姊の法號により |
J20_0272B31: | 改たむ寬永五年七月十五日開起し禪林は本國但馬國 |
J20_0272B32: | に歸り寬文二年十一月廿八日入寂すと云本堂七間四 |
J20_0272B33: | 面 |
J20_0272B34: | 下谷入江三寶山歡喜院盛雲寺 |