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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0261A01: 安養院と加號す
J20_0261A02: 寺記云當寺開山月快上人元草葺の彌陀堂ありいく
J20_0261A03: 年經るとも知人も申傳もなし天正年中堺浦より廻
J20_0261A04: 國し堂に止住し四十八夜別時念佛し彌陀如來悲願
J20_0261A05: の義趣を勸進あり元當浦は眞言宗なるに念佛の利
J20_0261A06: 益廣大なる事を初て聞て大に歸依し終に一宇とな
J20_0261A07: る後堺に歸らるるの時檀家信心の爲とて日本三體
J20_0261A08: の靈佛二尺五寸餘の立像齒吹如來を贈らる今の本
J20_0261A09: 尊是なり慶長九年十二月十六日戌刻南海の洪波山
J20_0261A10: 陸一時に鹽水と充塞するの時近村一圓人民沒溺男
J20_0261A11: 女死人甚多此時開山行狀位牌過去帳まで失ふ其の
J20_0261A12: ち門前の人由來の大畧を記し石牌をたつ
J20_0261A13: 寬永十八年三月七十餘才にて寂
J20_0261A14: ○崇蓮社敦譽雲恕は日向國人幡隨上人に隨從し上人
J20_0261A15: 滅後高弟意天上人に侍衞す天公靈巖寺に住職により
J20_0261A16: 靈巖寺に止錫修習國に歸りて後兒島郡三納郷に野嶽
J20_0261A17: 山谷照寺と云ふ廢寺あり始禪宗次に時宗にて文殊堂
J20_0261B18: のみあり是を再興し住す又本寺高月院に在住す寬文
J20_0261B19: 七未九月廿四日沒七十四才
J20_0261B20: ○秀譽は城州綴喜郡多賀村の人熊岡藤左衞門子靈巖
J20_0261B21: 寺珂山上人附法寬文元年同所眞福寺を中興す當寺へ
J20_0261B22: 天正十五亥年貞安上人再興といへとも不分明寬文六
J20_0261B23: 年六月六日七十九於泉國善輪村死
J20_0261B24: ○西譽窓月は城州醍醐人靈巖上人弟子と成慶長十四
J20_0261B25: 年九月十四日宇治五鈷山善法寺を中興す
J20_0261B26: 寺記云當寺者宇治關白賴通公永承中開創之名善法
J20_0261B27: 下略
J20_0261B28: 慶安四卯年八月十五日死す
J20_0261B29: ○凾蓮社丈譽西風歷央は下野國千本人剃髮ののち名
J20_0261B30: 越大澤又生實館林等諸所へ遊錫し終に靈巖上人に附
J20_0261B31: 法傳承す寬永の末京にのぼり粟田口に東輝山戒安
J20_0261B32: 寺を起立し承應二年二月三日化六十四
J20_0261B33: ○生譽直念は土州高知郡南新堀人姓貞重氏靈巖寺に
J20_0261B34: 下向し大譽珂山上人に隨剃度し傳法相承す安房國平

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