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J2960 館林善導寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0201A01: 中瀨常運寺曉譽弟子にて始縁山袋谷檀通寮に下向し
J20_0201A02: 通公の出世に隨ひ館林に隨身し常隨給仕怠る事なし
J20_0201A03: 附法相承又此山の法水に浴す歸國後常運寺に住す此
J20_0201A04: 時養父郡藏垣村に建長年中大伽藍なりしかと天正年
J20_0201A05: 中戰爭の時燒亡し小庵となれるありしを常運寺住の
J20_0201A06: 時取立再建し末寺とし其のち天和二亥三月花頂山の
J20_0201A07: 直末とす
J20_0201A08: ○信蓮社深譽林應伊勢松坂人山田光樹寺弟子館林に
J20_0201A09: 附法修學寬永廿年城主松平式部大輔忠次白川に移時
J20_0201A10: 林應隨行忠次菩提所とし泰叟寺と號善貞後住とし後
J20_0201A11: 隱居す弟子二人輪超加善と云輪超は三河國大樹寺に
J20_0201A12: 住し加善に遺言あり此とき伊勢光樹寺退轉せし故本
J20_0201A13: 山に訴へ當所に引伽寶山護念院光樹寺と云慶安三年
J20_0201A14: 播州姬路男山麓にて寺地を賜其後城主越後村上へ引
J20_0201A15: 移時又隨來林應は慶安元年子十二月十一日七十二才
J20_0201A16: にて化
J20_0201A17: ○心蓮社淨譽龍波は上野國群馬郡保渡田村松崎氏子
J20_0201B18: 同所西光寺に弟子善導寺以傳上人に隨給附法す後信
J20_0201B19: 濃國芳泉寺三世心譽靈恕法縁たるによりて彼寺に逗
J20_0201B20: 留の時柳澤村南天山阿彌陀院靑龍寺の開祖となる
J20_0201B21: 寺記云柳澤村南に高山あり其林峯に阿彌陀院あり
J20_0201B22: て開基何百年以前と聞傳さへもなし本尊二尺五寸
J20_0201B23: の阿彌陀太子の御作と云一説に吉水大師善光寺へ
J20_0201B24: 參詣の時立寄らせ彌陀佛を安置し給へりとも云然
J20_0201B25: れとも佛閣破壞に及しかは元和中其堂をたたき近
J20_0201B26: 邊の寺の鎭守辨天堂に安置あり寬永八年夏のころ
J20_0201B27: 辨天堂の上に靑色の蛇頭より光を放ち三日三夜去
J20_0201B28: 居す其長五尺餘世人是を見て奇異の思をなし皆云
J20_0201B29: 辨天化形本地の佛閣破滅に及ふか故かと依て一郷
J20_0201B30: の者一院を建立し寺を寶泉寺に隷屬せしめ住持を
J20_0201B31: 乞ければ則ち龍波を選ひ開祖に定められしなり
J20_0201B32: 在住四十五年寬文十一年八月十九日化
J20_0201B33: ○源蓮社聖譽恕廸は筑後人樂丸志村氏子豐後日田郡
J20_0201B34: 財津村龍泉寺信譽弟子幡隨上人に隨學給仕し館林に

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