ウィンドウを閉じる

J2950 岩付浄国寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0185A01: 開山行蓮社正譽上人明應元起立同七年二月十五日寂
J20_0185A02: 同埼玉郡上平野村平源寺
J20_0185A03: 開山星蓮社曉譽玄榮上人は觀智國師の弟子當寺を開
J20_0185A04: 創の後相模國岩瀨大長寺に移住す行狀德行は彼寺の
J20_0185A05: 所に出つ故玆に略す凡創寺十四五ケ寺あり
J20_0185A06: 御朱印五石 同谷古田本鄕村榮寶山津梁院全棟寺
J20_0185A07: 開山十蓮社念譽一傳源證上人
J20_0185A08: 一説云上人は大澤修理房長と名け扇ケ谷上杉家に
J20_0185A09: 屬し一方の武將なり故ありて勘氣を蒙りしかは再
J20_0185A10: び他主を求めんとせす剃染の姿となり無常の世中
J20_0185A11: を厭ひ鎌倉光明寺に入つて一心に念佛す太田氏兼
J20_0185A12: て同僚たるの因を以て其の知所に一寺を開創し是
J20_0185A13: に住せしめ懇に衣食の料を送る其子甚右衞門長重
J20_0185A14: 太田氏のとりなしによりて上杉氏に歸參し物頭弓
J20_0185A15: 役を勤めしと云
J20_0185A16: 太田備中守法名資觀院殿起立念譽上人同十六年辰八
J20_0185A17: 月十五日化又東照宮の御寵室おこちや殿を葬送す故
J20_0185B18: に御紋付の具等少からず
J20_0185B19: 御朱印寫
J20_0185B20: 武藏國足立郡谷古田郷之内五石事任天正十九年十
J20_0185B21: 一月日元和三年四月六日寬永十三年十一月九日先
J20_0185B22: 判之旨全棟寺全收納永不可有相違者也
J20_0185B23: 寬文五年七月十一日 (御朱印)
J20_0185B24: 又太田氏の碑あり
J20_0185B25: 太田戎師道灌之爲良將民到于今稱之其嫡曾孫曰備
J20_0185B26: 中守諱輝資志識卓犖有以紹前而先後方北條氏之雄
J20_0185B27: 關左君委質爲武之足立郡谷古田城主氏房時還附及
J20_0185B28: 小田原爲豐關白所攻策其必敗去居川越北條氏遂亡
J20_0185B29: 烈祖戡亂諭酒井雅樂頭靑山伯耆守召之君固辭 烈
J20_0185B30: 祖高其義不之強也又諭使其二子仕於是長子光資臣
J20_0185B31: 酒井氏次子忠資臣靑山氏君乃栖隱於谷古田邑以慶
J20_0185B32: 長八年癸卯四月十七日歿葬邑之全棟寺法諡曰資觀
J20_0185B33: 院娶細谷氏生二男一女二男即光資忠資女嫁紀伊守
J20_0185B34: 松平侯光資後辭酒井氏祿其資吉來仕松平侯資吉六

ウィンドウを閉じる