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J2950 岩付浄国寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0168A01: 檀林岩付淨國寺志
J20_0168A02:
J20_0168A03: 目 次
J20_0168A04: 轉住弘通 朱璽正寶 諸堂院宇 靈寶傳器
J20_0168A05: 舍利瑞縁 鼻祖諸傳 列世法德 境内勝景
J20_0168A06: 阿部家譜 北條氏系 負笈遊化 本末榮運
J20_0168A07: 御朱印五十石 武藏國埼玉郡岩槻佛眼山英隆院淨國寺
J20_0168A08: 轉住弘通
J20_0168A09: 開祖總譽淸巖上人は智行兼備によりて所住の檀林鴻
J20_0168A10: 巢勝願寺を再建し諸方より遊化の雲水を敎諭あられ
J20_0168A11: しの時同國岩槻城主太田十郞平氏房
J20_0168A12: 氏房は小田原北條氏一族東國戰記北條五代記等に
J20_0168A13: 出天正十八年落城す
J20_0168A14: 遙かに德風を仰き山林を寄附せられ當山を開きて請
J20_0168A15: 待し開祖とせんと使節再三に及ばれ天正十五年彼山
J20_0168A16: をは堂宇什器所化檀家共に不殘上人に讓與し自らは
J20_0168A17: 常隨の學徒を召れ岩槻に移職あり
J20_0168B18: 朱璽正寶
J20_0168B19: 淸岩上人は北條家一族にて小田原の産なり
J20_0168B20: 山角上野介か庶子にて幼年より故ありて出家すと
J20_0168B21: も云又甘繩左衞門太夫が庶子なれは氏房一族のよ
J20_0168B22: しみありて當所へ請し一寺開建の大檀那となりし
J20_0168B23: とも云師平生默して姓氏を云はす偶偶人問ふ時は
J20_0168B24: 釋氏俗姓を離るとのみにて別に故よしを語られす
J20_0168B25: 故に其系氏を知る者なし唯門人滅後師の許へ來り
J20_0168B26: し書狀を見出し漸く甘繩の貴族なりと知ると雖小
J20_0168B27: 田原落城後なれは其の本末を尋究する事なしと
J20_0168B28: 凡德行の勝れし事は諸記にあり上人つひに寺門建立
J20_0168B29: の砌遠近の寄進殊に多し其時證券の爲め氏房より印
J20_0168B30: 璽を送らる
J20_0168B31: 爲勝願寺隱居於當地一寺進之候一廉御建立尤不可
J20_0168B32: 有相違者也仍如件
J20_0168B33: 天正十五年丁亥八月十一日 氏房在居判
J20_0168B34: 勝願寺

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