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J2900 小金東漸寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0070A01: 寺にて附法也依て開山の名未詳
J20_0070A02: 境内二反内一反七畝年貢地
J20_0070A03: 同 東深井村深井山稱名院淨信寺
J20_0070A04: 開山圓蓮社實譽鐵道上人筑前國惟任美濃守綱廣が庶
J20_0070A05: 子大友家と戰日向國に主將菊地とともに敗せしより
J20_0070A06: 降人と成しをくやみ自ら遁出るに縁なく剃度し敵城
J20_0070A07: を出しかど身の所縁一同敵と成しかば足に任せ諸國
J20_0070A08: を廻覽しつひに鎌倉に來りしるべによりて光明寺に
J20_0070A09: て淨土の流を汲身となり心ならぬ墨袂なりしかど年
J20_0070A10: を重ね發心修行し後には眞實の無上道心をえられし
J20_0070A11: とぞ應永四丑十二月廿五日當寺を起立暫住し享德二
J20_0070A12: 酉正月八日化寂
J20_0070A13: △末寺 同 榛木村 淨法寺
J20_0070A14: 同 高田村深傳山 淨善寺
J20_0070A15: 開山誠蓮社法譽學道上人雲州人尼子の浪士湯備前守
J20_0070A16: が二子幼名鶴次郞京都知恩寺に出家し修學のため當
J20_0070A17: 國に下向し本山に入て學問し成熟ののち慶長元年七
J20_0070B18: 月當寺を起立し元來淸貧を願ひ別に福基を求めす寬
J20_0070B19: 永十一六月五日寂
J20_0070B20: 境内三反步餘内一反二畝步年貢地寺外山林五反步餘
J20_0070B21: 除地此内香取社有
J20_0070B22: 同 加村加村山 光照寺
J20_0070B23: 開山時宗遊行上人の弟子當國の産但阿彌陀佛天文年
J20_0070B24: 中起立名光久寺少し廢絶に及ばんとせしを正保元年
J20_0070B25: 三月心譽一寺に再興し本山辨譽上人代末寺と成を約
J20_0070B26: し改名號 境内七反步外に山三畝步除地
J20_0070B27: 同 流山寶泉山廣濟院長流寺
J20_0070B28: 開山覺譽大信上人伊勢國かぶとの人鹿伏兎修理亮が
J20_0070B29: 從士長野雲平が子也幼年出家諸國を遍參し慶長十二
J20_0070B30: 未年二月當寺を起立す本山圓應上人附法なりよつて
J20_0070B31: 末寺に列す
J20_0070B32: 同 宇喜田新田金胎山 安樂寺
J20_0070B33: 開山一蓮社法譽傳龍上人幡隨上人附法なり寬永三年
J20_0070B34: 七月起立同十一戌年二月十二日化寂

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