浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0064A01: | 修學する事八年全樹上人に隨ひ宗門の相承のこす事 |
J20_0064A02: | なし天正九年城州伏見にいたり丹波橋鍛冶屋町に玄 |
J20_0064A03: | 忠寺を開き弘通す慶長四年攝津國尼崎圓通寺の住と |
J20_0064A04: | なりのち美濃國に移り大垣に圓通寺を建寬永二年再 |
J20_0064A05: | び伏見玄忠寺に歸住し寬永十七辰年五月三日滅す九 |
J20_0064A06: | 十六才 |
J20_0064A07: | ○淸蓮社淨譽岌泉は下總國佐倉人岡部氏子淸光寺了 |
J20_0064A08: | 學上人の弟子東漸寺全樹上人の坐下にて附法修學お |
J20_0064A09: | はりてのち諸國遊化の時信濃國松本を通けるが其比 |
J20_0064A10: | 當所に遁世者あり徹秀といふ草庵を結ひ閑居すもと |
J20_0064A11: | 檀林にて智音あれば松本より皈郷の時尋問しける此 |
J20_0064A12: | 比郷内病惱の由聞ければ岌泉一夜庵室に入別時念佛 |
J20_0064A13: | す奇かな郷内衆人病惱忽ち平除す地頭福澤左京進是 |
J20_0064A14: | を聞大によろこひ庵を寺となし貫高三百五十字の分 |
J20_0064A15: | の地を境内として當院をたて岌泉を請して開山とす |
J20_0064A16: | 在住數年天正元年九月十二日寂す |
J20_0064A17: | 案するに淸光寺は天正中の開基なれは小金に入受 |
J20_0064B18: | 學より少し早ければ初より小金の弟子なるべし |
J20_0064B19: | ○光蓮社明譽正底は信濃國の人小金開山經譽上人は |
J20_0064B20: | 信濃國人ゆへ由緖により入山結夏し十余年宗戒兩脈 |
J20_0064B21: | 禀傳の上皈國し由緖あるにより永祿二年川中島今里 |
J20_0064B22: | 村領主小田切右馬允をすすめ先祖位牌所のため圓光 |
J20_0064B23: | 寺を建開し又眞眞部村に無量山彌陀院專念寺を造創 |
J20_0064B24: | す又圓光寺に立皈り前後住二十余年天正十二年七月 |
J20_0064B25: | 四日寂す |
J20_0064B26: | ○天蓮社曉譽岸翁は肥前國藤津郡巨瀨村橫尾氏子寺 |
J20_0064B27: | 尾村竈王院十譽弟子遙に白旗正義の傳法を嘉尚し下 |
J20_0064B28: | 總國小金に來着し數年眞宗の玄門を頥練す三脈皆傳 |
J20_0064B29: | ののち國に皈り同郡音成浦高南山福泉寺起立後本寺 |
J20_0064B30: | 八木本知恩寺に住す正保元年十二月十日化 |
J20_0064B31: | 寺記云往古當國大良嶽山之末院福泉庵と云を改と |
J20_0064B32: | ○道蓮社正譽念死玄育は伊豆國韮山人北條氏規臣佐 |
J20_0064B33: | 藤玄蕃允家次子二才時韮山合戰時美濃守の手に屬し |
J20_0064B34: | 討死す舍兄藤左衞門介抱により大見庄へ落行母養育 |