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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0709A01: 當家にて攝關の御娘むかへさせ給ひし始めなり君
J19_0709A02: 子のよきたぐひにておはしましけむか琴瑟のあひ
J19_0709A03: 和らかさせ給はぬ故も侍りしにや御子などもおは
J19_0709A04: せずさうおはせずさうしくすぎさせ給ひしとうけたまはる
J19_0709A05: 記錄にも御臺所と記せし事見へず中丸御方とのみしるし又或説に御所の内には住せ給はず廣芝と云ふ所に住せ給へり駿河大納言殿
J19_0709A06: のみたちは城の北にあたりけれは北の丸と云其の中程にありしかば中の丸と云ひしと見へたりさらば今の吹上のみそのの内なるに
J19_0709A07: や廣芝と云名今も有と聞ゆ御所におくれまゐらせられし後は本理
J19_0709A08: 院殿と申奉る延寶二年六月八日かくれ給ふ七十三
J19_0709A09: 歳にておはしませしとぞ嚴有院御所の御嫡母にておはすべかりしに御服めさぬよし見へ
J19_0709A10: たり是れは故ある事なるべし 小石川傳通院におさめまゐらせたり
J19_0709A11: おしるしは傳通院にたてられしかとも御なきがらは烟となし參らせしと見へたり今年十月二日宿老衆より高野山大德院に賜はる奉
J19_0709A12: 書の案を見れば御遺骨を納めらるるよしをのせて御石碑等の料としてこがね三百兩を大阪の御藏より賜り其の餘の事は北村杢助
J19_0709A13: 申傳へきよしなり北村杢助と云しは中の丸の御用人なとにや此男高野山までもり參らせしならむ寶曆十三年
J19_0709A14: 四月十六日浚明院御所の御時に從一位を送らせ給
J19_0709A15: ふ此御弟に鷹司信平殿と云ひしは慶安三年の十月
J19_0709A16: 初めて下り給ひ十六日御所に參りて御禮あり是は
J19_0709A17: 御父太閤の心にて西の御所に仕へ參らせんとての
J19_0709B18: 事とそ其後嚴有院御所御代しらせ給ひし始め信平
J19_0709B19: 松平の稱號を許され從四位下の侍從になされて左
J19_0709B20: 兵衞督と云ふ下略
J19_0709B21: 本理院殿は御實家たる鷹司殿より御舍弟信平殿を
J19_0709B22: 申下し養子とせらる信平殿後後秩加へられ一萬
J19_0709B23: 石に及はれしかど夫人の恩を忘れられ又養母の義
J19_0709B24: をも廢せられしにや當山の廟牌をも守られす檀家
J19_0709B25: ともなられすして日蓮宗自證院の檀家とならる
J19_0709B26: 此寺元祿年中廢せられしを輪王寺宮の御願にて天台宗に改り東叡山に隷す元より御供養料もあ
J19_0709B27: らされは無縁に等しき御あり樣なり大猷院殿の正
J19_0709B28: 夫人にて信平殿を養子とせられし其かひもおはさ
J19_0709B29: す安永二年巳五月に至て初て金百兩御供料御寄附
J19_0709B30: ありかかる御いたはしき大夫人はおはさす末末の
J19_0709B31: 御中﨟より御供料はおとり給へり
J19_0709B32: ○天樹院殿
J19_0709B33: 寬永記云十八年巳正月十三日依天樹院殿御不例大猷
J19_0709B34: 院殿被爲成 十六日天樹院殿御勞少少依風氣諸大名

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