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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0703A01: 張國に請せられ高岳院開基の縁により相應院殿深く
J19_0703A02: 師に歸依し同しく國に移りて眞宗を弘道すべきの命
J19_0703A03: あり依つて嘉召に應し寬永五年移つて國師の所開の
J19_0703A04: 高岳院第三世に住せる事十六年寬永十九年九月十六
J19_0703A05: 日相應院殿逝去東都傳通院に火葬し靈骨を尾張に被
J19_0703A06: 迎直ちに一宇造立翌癸未年落成則ち號を貴尼の追薦
J19_0703A07: に名けて相應寺と云ふ靈骨を堂の乾に〓め八月二日
J19_0703A08: 亞相公の命によりて師を開祖と定められ本山黑谷の
J19_0703A09: 住務に請せられ彼山に昇轉の後貴尼の靈牌を安置せ
J19_0703A10: られ公安院と名づく下略淸水家記云く相應院殿父法
J19_0703A11: 名松岳院殿淸譽淨峰大居士母は法名龍雲院殿賀月妙
J19_0703A12: 慶大姉
J19_0703A13: 以貴小傳云くお龜局は志水加賀守宗淸が女なり第八
J19_0703A14: の御子仙千代君第九の御子五郞太君をまうけらる
J19_0703A15: 仙千代殿はいとけなくしてうせ給ふ五郞太殿は大
J19_0703A16: 納言義直卿の御事にて後ちに尾張國賜はらせ給ひし
J19_0703A17: かは局はかの方にかしつき申されて相應院殿と申す
J19_0703B18: 寬永十九年閏九月十六日六十歳にしてうせらる尾張
J19_0703B19: 國におくりて寶龜山相應寺をたてらる御父志水加賀
J19_0703B20: 守は山城國石淸水八幡宮の社司なりと云ふ其の子甲
J19_0703B21: 斐守忠宗尾張殿に仕ふまた局がいまだ宮仕せざりし
J19_0703B22: 先きにもたる子を竹腰小傳次と云ふ尾張殿とはまさ
J19_0703B23: しき同母の御ちなみある故所領多く賜はり三萬石
J19_0703B24: の御家につけられて家老の職になされ山城守と云ふ
J19_0703B25: 義直卿母堂相應院殿は柳原從一位大納言淳光卿養女
J19_0703B26: 禁中へ御奉公其後 神君奉仕候譯に付柳原淳光卿慶
J19_0703B27: 長二酉年逝去同十八丑年 公儀より被 仰立准大臣
J19_0703B28: 贈官有之由
J19_0703B29: 右養女の儀相違無之哉調之事
J19_0703B30: 附札
J19_0703B31: 初 禁中へ奉仕之節柳原家之養女と成り宮仕に出
J19_0703B32: 候右等の由緖にて柳原淳光卿贈官之儀御執 奏有
J19_0703B33: 之候よし尤も義直卿御外祖の譯にて贈官有之儀に
J19_0703B34: ては無之由淳光卿の勳功にて關東より御内 奏有

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