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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0420A01: 年の後に至り德光を海内に輝し宗花を率土に開かれ
J19_0420A02: しももと今師の希冀の祥證たり憲公常に營中に召さ
J19_0420A03: れ縁山に成らせられ今師を歸依し給へる事筆紙に記
J19_0420A04: しがたしさればのちには湯島に閑室を造らせられ食
J19_0420A05: 邑を新附し給へり一云會津家保科の號なりしを今師に傳賴ありて後台聽に直奏し奉られ松平の稱を賜へりと
J19_0420A06: 云云既に終焉の日に近く師の本族大八木氏を召出され
J19_0420A07: 官醫に列せらる師退職の後は大君麻布に成らせられ
J19_0420A08: 法話説義せしめられ閑室に移住ののちも猶其寵恩あ
J19_0420A09: り國母桂昌院殿も同く常に營中簾前にめさせられ當
J19_0420A10: 山隱室にいらせ法義を聽受なし給へり
J19_0420A11: 元祿七戌年八月廿六日辰刻三丸君入らせらる御迎役者
J19_0420A12: 四人のみなり師桂君へ初て御對顏拜領物あり御樽貳荷黄金拾枚
J19_0420A13: 箱核三種外に御内證より 金縮緬三十卷銘酒(くは酒にんとうきく酒)方丈よりも献上物あり
J19_0420A14: 御樽壹荷御核二種御内證より檜重壹組野菜三種花貳桶台德院殿崇源院殿銀五枚づづ淨
J19_0420A15: 德院殿へ銀壹枚御服中ゆへ安國殿へ參らせ給はず
J19_0420A16: 所化役者兩人へ銀五枚づづ寺家役兩人へ銀三枚づづ靈屋衆三院并順碩(淨德院殿御別當)銀貳枚づづ下さる念佛の有が
J19_0420A17: たき儀聞し召させられたきむね仰出さる故に延年轉
J19_0420B18: 壽の法談申上らる七つ時過還御廿七日四つ時大僧正
J19_0420B19: 三丸御殿へ登城あり貳束一卷を献らる夕飯まで法話御馳走拜領
J19_0420B20: 物もあり衣地緋縮緬貳卷緋羽二重五局なり
J19_0420B21: 元祿八亥年四月廿三日辰刻當山へ入らせらる通町筋久保町通愛宕山
J19_0420B22: へ立寄せられ直に當山へ御入御供大久保加賀守本多因幡守秋元但馬守御先へ進藤伊右衞門護國寺僧正も入來方丈御出迎
J19_0420B23: 其外大光院了山役者四人快樂院は御門内兩の方に出つ
J19_0420B24: 方丈より献上物あり昆布壹箱御檜重壹組外に野菜五種山へ入らせられし
J19_0420B25: 時又献上あり御提重壹組干菓子三重物壹組家德利壹對拜領物あり方丈へ黄金拾枚昆布壹箱岩
J19_0420B26: 茸壹箱干瓢一箱御内證より色縮緬三十局昆布壹箱外に薄綿小袖五袷羽二重五疋又御掛物(御筆の色帋二枚表具とも)此外あちやら漬三壷
J19_0420B27: 井櫻(是は御供の衆中へ下さるるとなり)營中より北條美濃守御使として大
J19_0420B28: 檜重壹組直に方丈え下さる又御臺所よりも小笠原源六
J19_0420B29: 御使あり又役者秀圓吟達兩人え銀五枚づづを下さる月光
J19_0420B30: 院天陽院へ銀三枚づづ惠眼院寶松院最勝院順碩へ銀貳枚づづ
J19_0420B31: 下さる丸山にて四方の風景を御遊覽なし給へり御吸物御
J19_0420B32: 晝食御菓子を召上らるる時方丈も御相伴八時過御殿へ御入御膳召上らるる時方丈御相伴法問
J19_0420B33: 御聽聞遊されたき旨仰出さる則ち『淨土本縁經』に
J19_0420B34: て現世無比樂後生淸淨土の法則方丈扱はる人數は大

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