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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0414A01: 山開祖より代代禀承傳持し正系庶統の法流わかちあ
J19_0414A02: りて各寮の系氏詳ならず是を記せるの書僅に『惣系
J19_0414A03: 譜』三卷ありといへともそれも年古歳去今世にたよ
J19_0414A04: りなし又前にいへるごとく各寮法脈を記さざるが故
J19_0414A05: に後世枝條のたづぬべきをかなしむべしと見聞の寮
J19_0414A06: 中に近世の記傳あるを拔出し其二三をのするは今時
J19_0414A07: の詳をまつにあらず當來の末徒に實系を傳んか爲な
J19_0414A08:
J19_0414A09: 學頭寮 袋谷隅
J19_0414A10: 往世各寮主自棲の寮に昇席し第一座にすすみても別
J19_0414A11: に移住の寮なし台命を奉登營に及ひ檀林に住せらる
J19_0414A12: るに及ひても尚自寮の門に其寺名を標記し枚上に書
J19_0414A13: 出せり妙譽大僧正の代に及ひ圓海和尚當寮に住し建
J19_0414A14: 立せられし跡寶曆十辰年正月惠亮和尚當寮に移られ
J19_0414A15: 明和元申年八月三日命を奉し東漸寺に住せらる明和三戌
J19_0414A16: 年四月廿六日命を奉じ駿府寶臺院に移住し賜紫の榮あり天明二寅年九月三日彼院に遷化す相つぎて敎運和尚
J19_0414A17: 明和元申年八月移られし後は代代學頭職に補せらる
J19_0414B18: るの僧必す當寮に移れり但し二臘三臘にて奉命檀林
J19_0414B19: に住するの時は移るにいとまなくして各寮より直に
J19_0414B20: 住職あり學頭の由致は前に出せる故ここに出さず又
J19_0414B21: 學寮の正規在衆の譯も既に前にありここに略す倫譽大僧
J19_0414B22: 正の代には當寮に不動尊を安置し一山の繁榮を學頭の職にて祈願あり然るに宗祖大師別に宗を開き念佛の一行によりて出離を至要とせ
J19_0414B23: るに冥契やなかりけん程なく文化三寅年燒失せり其後此則なし當寮もとより交代年ねんに
J19_0414B24: 數度もあれは規則掟ありて別用什具餘寮に混せず
J19_0414B25: △本尊一光三尊阿彌陀如來
J19_0414B26: 靑山大和守幸道寄附なり大膳亮幸秀の二男なり舍兄播摩守幸篤卒去の後家督を繼寶曆八寅年美濃
J19_0414B27: 國郡上郡八幡を領す妙譽大僧正並曇海上人を歸依せられ本尊器
J19_0414B28: 具等を寄附常に寶訓を受られける
J19_0414B29: △鎭守松岡稻荷大明神 本地十一面觀世音菩薩
J19_0414B30: 薄帳に其縁由を載
J19_0414B31: 文云
J19_0414B32: 此神舊地所祠大後寮舍既廢無復祭神者神祠亦隨廢
J19_0414B33: 矣了再相宅日神乃托覽事人懇請祠廟矣予云神其何
J19_0414B34: 爲耶神云能防火炎亦治濕瘡於〓新造其祠祭之額字

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