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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0358A01: 君の用水として連日數十人汲運すはじめ約せられし
J19_0358A02: 時の文書あり
J19_0358A03: 先日は 相國樣御成御機嫌能還御之由珍重存候
J19_0358A04: 然は御屋敷堀之際に井之本一堀申度候御圍之障
J19_0358A05: 少も成不申候間得御意候尊報可蒙仰候恐惶謹
J19_0358A06:
J19_0358A07: 六月廿一日 正 宗 花押
J19_0358A08: 增上寺 御同宿中 政宗 表
J19_0358A09: 松陸奧守 裏
J19_0358A10: 當院に原田甲斐を葬りしと『伊達黑白論』『伊達大評
J19_0358A11: 定』『仙臺萩』などの書に見へたり今墓所其地なし法
J19_0358A12: 名又過去帳に載ず予是を院主に尋る事再三のち院主
J19_0358A13: 云院の所傳には甲斐はつみ人なりしかば時の住持戒
J19_0358A14: 名を過去帳にのせず又碑を立べき人なし『武家嚴秘錄』云甲斐小舅舅
J19_0358B15: 田玄蕃早馬にて乘立來り薦包の儘にて死骸を請取增上寺中良源院へ葬る法名樹劍寶光其後遙の年を經て
J19_0358B16: 其由縁の女姓仙藩北氏の妻となれるを葬り甲斐か墓
J19_0358B17: と合せ葬せしとなり今碑面に靈松院圓牕樹光大姊
J19_0358B18: 正保年中と記せる是なり此外に所傳なしとそ
J19_0358B19: 上越前守辻伊勢守又廓生院覺壽院桂光院なと其外の
J19_0358B20: 墓あり略す當院第六世知門我國は眞言事相に達し内
J19_0358B21: 外の博達として祈禱などせられし中に天野主水妻物
J19_0358B22: にくるひ變病に惱されしかば醫術祈禱に力をつくさ
J19_0358B23: れしかどしるしなくして年年につのり言葉にのぶへ
J19_0358B24: うもなきさまにて往事を語り口ばしり中にも大阪に
J19_0358B25: て先祖のうちし亡靈三人まで付まとひて得脱を求め
J19_0358B26: 苦みもたへけるさま看人も堪かねけるほどなりしか
J19_0358B27: は我國和尚の救ひを求めなんとて請せらる我國病人
J19_0358B28: に對し祈念せられけるにそ猶もいろいろの恨をのべ
J19_0358B29: 解脱を乞ければ戒名を授與せられ回向ありけるに苦
J19_0358B30: やみ病愈けるにぞやかて謝儀の碑を立らる

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