ウィンドウを閉じる

J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0338A01: 幾よろつ代代かきりなくとなへても
J19_0338A02: なをも稱へよ南無阿彌陀佛
J19_0338A03: ○福聚院 神明谷
J19_0338A04: 正德五未年松譽大僧正の代福聚の院號を附置れ是よりさ
J19_0338A05: き秋葉權現鎭座の事あり祠社の部に出黑衣の僧住持す天明二寅年十二月廿
J19_0338A06: 八日院主普敎の時故ありて長防の大守治親朝臣法名容德
J19_0338A07: 院仁山應壽と號す二百戸を新附ありて永世宿坊勤むへきにさだ
J19_0338A08: まり香衣別院となる文化九未年六月御當山御增境の
J19_0338A09: 時西の方に引移へきに定りしかど故ありて同十申年
J19_0338A10: 六月十日神明谷恢隆熊谷宿熊谷寺に住職せし跡を當
J19_0338A11: 院に給ひけれは轉移す委くは在心室の下に出す
J19_0338A12: 歷世
J19_0338A13:
J19_0338A14: 求心照蓮社本譽二日 貞吟詠蓮社熏譽七月二日 湛應現蓮社實譽寺號中興七月二日 惠湛堪蓮社忍譽七日
J19_0338B15: 林應遺蓮社喚譽五日 有定天蓮社隨譽五日 別院中興眞冏正蓮社順譽文化十四年四月十五日 禪海淸蓮社淨譽文化七年五月十四日
J19_0338B16:
J19_0338B17: ○淸光寺 始淸光院
J19_0338B18: 羽州庄内鶴岡城主酒井左衞門尉墳院なりはしめは黑
J19_0338B19: 衣の僧住持として大守はもとより本國大督寺へ葬せ
J19_0338B20: る事なれは内室又は連枝童幼の方方當院へ葬せし時
J19_0338B21: 導師は所化方一文字席の内にて有縁の衆これをつと
J19_0338B22: め淸光院と名つけ聲明衆の列班也寶曆の末明和のは
J19_0338B23: しめ寺と改め便譽大僧正の命有て別院となり香衣の
J19_0338B24: 上人住持となりしかは太守金吾校尉忠溫朝臣葬事あ
J19_0338B25: りて淸光院殿と名つく當寺は南の堺堤の地にして赤
J19_0338B26: 羽の河流南にめくり圓山の茂樹西北に高し東海北地
J19_0338B27: 景すくれ望晴たり故に今八景を題す
J19_0338B28: 春堤嫰草 赤羽晩流 海上朝霧 金橋行客
J19_0338B29: 稻祠餘照 林間開花 寒樹群鳥 連院鳴磬

ウィンドウを閉じる