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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0336A01: の名を付べき『東國高僧傳』『鎭流祖傳』に義
J19_0336A02: 光の裔とあるを見あやまりて傳ふるならん歟
J19_0336A03: 『新撰傳』には義元とあり是又光の字の寫誤歟
J19_0336A04: 又『法幢院牌銘』に白石志摩守宗義とあり今
J19_0336A05: 常福寺宗慶寺の『記』によりて記す○師誕生の
J19_0336A06: 地へ永正八未年八月廿日一寺をひらき御城山
J19_0336A07: 光明寺と名く開祖眞譽元祿十三辰年十月府君源義
J19_0336A08: 公より光明を改め誕生寺と名つけ除地若干を
J19_0336A09: 寄附せらる
J19_0336A10: 曆應四巳年生貞和元酉年父義滿同國大椽小田と
J19_0336A11: 戰ひ終に三月九日討死せしかは釆邑は敵の爲に
J19_0336A12: 奪れ館城は他の領となりし時五歳なれはめのと
J19_0336A13: 是をかくし同國瓜連に至り常福寺開山了實上人
J19_0336A14: の許に送り出家せしむ其相常人に異なり頂骨高
J19_0336A15: く聳額に纎月を隱し眼光人を射る見るもの驚歎
J19_0336A16: せすといふ事なし智辨泉の如く才操電に似たり
J19_0336A17: 顯密の學は傳敎弘法に耻ず禪敎の旨は慈覺榮西
J19_0336B18: に等し又孔老詩歌に通明し文筆畵工に研練なれ
J19_0336B19: ば一切の世間法義の二ツに於て其淵府を知るも
J19_0336B20: のなし故に文殊の稱を高くし一宗の宏基を勃興
J19_0336B21: せり師了實の命によりて瓜連常福寺の二世たりし
J19_0336B22: かと佐竹氏の亂によりて負笈遁れて同國同郡の
J19_0336B23: 川島に至り高仙寺を開く又不輕山にかくるる事
J19_0336B24: 數年然れとも小田大椽水戸長沼岩城郡那須等の
J19_0336B25: 戰ひ相馬白川結城の軍勢或南朝方と稱し或は北
J19_0336B26: 京方となり互に戰ひ止時なくかれを討是を拂ひ
J19_0336B27: 親に負き踈に與し父子君臣權威につのり自勢を
J19_0336B28: 爭ふ時節なりしかは身を山水の間に全ふし心を
J19_0336B29: 風雲の岐に交へ著述惟多し『頌義』三十卷『同見
J19_0336B30: 聞』八卷『糅抄』四十八卷『十八通』二卷『名目圖』
J19_0336B31: 一『同見聞』二卷等都て二百卷に及へり又一宗の
J19_0336B32: 傳法を定め應永の式目を立末徒の永式を定む其
J19_0336B33: 後武藏國にうつり小石川に隱棲す今の宗慶寺是
J19_0336B34: 也又傳通院無量山壽經寺と名つくを建つゐに應永廿七年九月

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