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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0322A01: ○瑞蓮院
J19_0322A02: 正德六申年四月晦日有章院殿御事ありし時假の御法諱を幽源院殿
J19_0322A03: と奉稱此時心光院を赤羽外へ移し其跡へ御靈屋御造營
J19_0322A04: 御別當を五月八日意詮へ仰付られ意詮は相摸國鎌倉大佛高德院に住す貫主松譽
J19_0322A05: 大僧正の資子たるを以て五月五日出府ありてこの職に補す今年秋白蓮池に一莖二花の蓮
J19_0322A06: 生けれは貫主へささけけるに是珍瑞なりとて當院を
J19_0322A07: 御建立ののち院を瑞蓮と名けらる
J19_0322A08: 寶曆十一巳年六月十二日惇信院殿薨御の時住持知湛
J19_0322A09: 御別當兼職に補す
J19_0322A10: 文化八未年二月十一日四谷失火の餘煙に燒亡せしか
J19_0322A11: ば同十年に至り今の地に移る此地はもと一經院と切
J19_0322A12: 通し也慶安四年七月廿八日熊谷三郞兵衞自害せしは今の座敷の處
J19_0322A13: 宿坊
J19_0322A14: 松平讃岐守
J19_0322A15:
J19_0322A16: 歷世
J19_0322A17: 意詮強蓮社縁譽元文四ノ四月四日 覺雄滿蓮社行譽享保十九ノ二月三日
J19_0322B18: 詮覺行蓮社忍譽寶曆九ノ十月三日 知湛心蓮社漸譽明知六ノ十一月廿一日 隨範法蓮社聞譽文化二ノ十一月十五日 知貫正蓮社轉譽
J19_0322B19:
J19_0322B20: ○最勝院
J19_0322B21: 寬永三寅年九月十五日崇源院殿掩粧あらせ給ひし後
J19_0322B22: 願秀を以御別當職に補せられ最勝軒と名く後今の名
J19_0322B23: に改む願秀始新谷淸光院を建後淸光寺と改む彼所に委し
J19_0322B24: 『新著聞集往生篇七右』寬永三年九月十五日に崇源
J19_0322B25: 院殿違例おもらせ給ひ一心に稱名怠らせ給はさり
J19_0322B26: しとかや西の霄より紫雲三筋御城中にたな引五色
J19_0322B27: の花空中に爛漫せしに江戸中の貴賤擧て拜み奉り
J19_0322B28: し中にも三尊の如來を拜せし輩も侍るとなり常に
J19_0322B29: 日課六萬遍御つとめ遊はされけるとかや
J19_0322B30: 寬保元酉年二月廿八日天英院殿御入棺の後兼御別當
J19_0322B31: 職仰付らる
J19_0322B32: 宿坊

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