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J2760 略伝集 本会 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J18_0566A01: 三年鸞洲上人に隨從して蝦夷に入り善光寺の幹事た
J18_0566A02: ること四年。文化六年十月笈を負ふて京師に遊ひ天
J18_0566A03: 台を一譽律師に唯識を慈海阿闍梨に華嚴を典壽律師
J18_0566A04: に學ぶ同十一年の頃將軍文恭公日蓮宗を信し淨風漸
J18_0566A05: く振はす縁山典海大僧正深く之を憂ひ鸞洲上人に諮
J18_0566A06: る上人答て曰德本行者盛德非凡。今紀州に在り宜し
J18_0566A07: く當地に請して宗光の扇揚を圖るへしと時に師嵯峨
J18_0566A08: 典壽律師の許に寓す是に於て大僧正の命を帶ひて行
J18_0566A09: 者の所在地攝州住吉山に使し行者に隨伴歸山して礫
J18_0566A10: 川唯稱庵に寓す是より行者の道名遠近を風靡し貴賤
J18_0566A11: 群集日課授與を乞ふ者日に數萬人に及へり師京師に
J18_0566A12: 再遊の志ありしも行者之を許さす遂に華王窟に主た
J18_0566A13: り文化十三年正月一字班に列し同十五年正月。月行
J18_0566A14: 事班に進む此年十月六日德本行者礫川一行院に示
J18_0566A15: 寂す是より先き師一橋最壽院殿の命に依り巢鴨雞聲
J18_0566A16: ケ窪一行院を捨世道塲として行者を安留す由て其廟
J18_0566A17: 處を立て遺骨を此地に葬る天保三年九月尾州公師を
J18_0566B18: 請して建中寺住職たらしむ天保五年十月德本行者の
J18_0566B19: 十七回忌を建中寺に修し衆庶の參拜一萬二千人に及
J18_0566B20: ふ國公命あり之を禁せしむ師建言して曰く僧徒にし
J18_0566B21: て弘く衆庶を敎化する能はずむは請ふ速に退かむの
J18_0566B22: みと國公之を是とし遂に衆人の參拜を許す師の德操
J18_0566B23: 以て見るへきなり師同寺に一大曼陀羅を寄附せり弘
J18_0566B24: 化三年五月建中寺を辭し山内正信院に寓す又車道
J18_0566B25: に淸閑の地を卜し隱室を建てて聖衆來迎庵と稱し十
J18_0566B26: 萬日の別時を開白す嘉永五年五月傳通院大衆學事草
J18_0566B27: 鞋料として壹千金を寄附す又願心寺其外有縁の寺院
J18_0566B28: に祠堂金を寄附せらるる凡三千金同七年二月十五日
J18_0566B29: 夜前生護持の楞嚴經今なほ存するを夢む翌日神谷專
J18_0566B30: 一亡女冥福のために明本楞嚴經を捧く師之を開き
J18_0566B31: 見るに第一卷の奧には吳江縣九都大基乃至萬歷廿八
J18_0566B32: 年識第十卷の奧には蘇州吳江縣九都大基乃至康熙十
J18_0566B33: 八年識とあり事跡を驗し前夢不妄和漢替生復此典に
J18_0566B34: 値へるを歎せりと云ふ文久元年四月熱田雲心寺三門

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