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Z0350 三部鈔諺註 縁起 湛澄 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
Z08_0005A01: 居院。後移京極。今在西京。五辻宮。龜山院御子。四品兵部卿守良親王。にして。すなはち隱遁
Z08_0005A02: 黑衣の身となり。その後。淨花院開基して。是心上人
Z08_0005A03: と號す。淨土鎭西一流の名匠。やんごとなき聖人な
Z08_0005A04: り。さればかの筆も松の枝も。色かはらずして。彼
Z08_0005A05: 寺の靈寶となり。近來までもありしとぞ。巳上緣起
Z08_0005A06: ○又一說曰。向阿上人。俗名は(タケ)()(ノブ)(ムネ)なりと。今
Z08_0005A07: スルニ武出系圖。信宗父安藝守(トキ)(ツナ)。母遠江
Z08_0005A08: 守平(トモ)(トキ)ナリ。龜山院文永己已年八月朔日。生
Z08_0005A09: 甲府。童名德光丸。後宇多朝廷。建治三年十一
Z08_0005A10: 月十一日。元-服於鎌倉。九年加冠相摸守時宗ナリ
Z08_0005A11: ユルカ。號信宗。嗜文筆倭謌。伊
Z08_0005A12: 豆。甲斐。駿河。安藝等守。兵庫頭。大膳大夫ニM(シテ)
Z08_0005A13: 從四位上。後醍醐院元應二年十二月十一日剃髮
Z08_0005A14: 年五十二。法名光阿。亦號向阿。勅集作者ナリ。元
Z08_0005A15: 德二年十一月九日卒。年六十二。號功德寺。委
Z08_0005A16: 記錄。世俗賢人武田殿作者類記云。新千載作者云云。
Z08_0005A17: ○新千載和歌集第十六雜部上
Z08_0005A18: 題しらす 向阿法師
Z08_0005A19: めくりあふ春やむかしの本の身と
Z08_0005A20: 月たにしらし墨染の袖
Z08_0005B01: ○向師所撰の往生至要訣一篇あり。近年開板して世
Z08_0005B02: に流布す。
Z08_0005B03: ○或曰。師は龜山院の御宇。文永二年に誕生して。光明
Z08_0005B04: 院の御宇。(ヂヤウ)()元年六月二日。八十三歲にして遷化
Z08_0005B05: し給ふと云云。
Z08_0005B06: ○師は能書にてもおはして。その手跡世に多し。親筆
Z08_0005B07: の父子相迎などもあり。
Z08_0005B08: (ハルヒト)(イハク)。洛西(ナラビガ)(ヲカ)池上の西光庵はその閑居の地な
Z08_0005B09: り。向阿上人傳ニハ歸寂ナリニかつて述懷の和歌ありといふ。
Z08_0005B10: 池上にわれたにすまは吉水の
Z08_0005B11: なかれの末もたえしとそ思ふ
Z08_0005B12: (アルヒト)(イハク)。新千載雜下に。「おなし世をこ〻ろひとつにす
Z08_0005B13: みかへて。すつれはやすき我身なりけり。」と侍る
Z08_0005B14: も向師の歌なりとぞ。
Z08_0005B15: ○右見聞のをよぶ處。ありのま〻にしるし侍りぬ。抄
Z08_0005B16: 主。もとより(ヒカリ)をつ〻み德をかくして。やすらかに
Z08_0005B17: 世をすぎ給ひつれば。その行化の事跡さだかなら
Z08_0005B18: ず。
Z08_0005B19: ○應永の末に隆堯法印。此抄を(ロウ)()せらる云云。永正
Z08_0005B20: 年中。山門華王坊の圓信阿闍梨。細川高國居士の請

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