浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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Z08_0005A01: | 居院一。後移二京極一。今在二西京一。五辻宮。龜山院御子。四品兵部卿守良親王。にして。すなはち隱遁 |
Z08_0005A02: | 黑衣の身となり。その後。淨花院開基して。是心上人 |
Z08_0005A03: | と號す。淨土鎭西一流の名匠。やんごとなき聖人な |
Z08_0005A04: | り。さればかの筆も松の枝も。色かはらずして。彼 |
Z08_0005A05: | 寺の靈寶となり。近來までもありしとぞ。巳上緣起 |
Z08_0005A06: | ○又一說ニ曰。向阿上人。俗名は武田信宗なりと。今 |
Z08_0005A07: | 按スルニ二武出ノ系圖ヲ一云ク。信宗父ハ安藝守時綱。母ハ遠江 |
Z08_0005A08: | 守平ノ朝時ノ女ナリ。龜山院文永己已年八月朔日ニ。生ル二於 |
Z08_0005A09: | 甲府ノ館ニ一。童名ハ德光丸。後宇多ノ朝廷。建治三年十一 |
Z08_0005A10: | 月十一日ニ。元二-服ス於鎌倉ニ一。九年加冠ハ相摸守時宗ナリ。 |
Z08_0005A11: | 因レ例ニ請ユルカレ名ヲ故ニ。號ヲ名二信宗ト一。嗜ム二文筆倭謌ヲ一。伊 |
Z08_0005A12: | 豆。甲斐。駿河。安藝等ノ守。兵庫頭。大膳大夫ニM(シテ)敍ス二 |
Z08_0005A13: | 從四位上ニ一。後醍醐院元應二年十二月十一日剃髮ス。 |
Z08_0005A14: | 年五十二。法名光阿。亦號ス二向阿ト一。勅集ノ作者ナリ。元 |
Z08_0005A15: | 德二年十一月九日卒ス。年六十二。號ス二功德寺ト一。委ハ |
Z08_0005A16: | 在二記錄ニ一。世俗ニ號ス二賢人武田殿ト一。作者類記ニ云。新千載ノ作者云云。 |
Z08_0005A17: | ○新千載和歌集第十六雜部上 |
Z08_0005A18: | 題しらす 向阿法師 |
Z08_0005A19: | めくりあふ春やむかしの本の身と |
Z08_0005A20: | 月たにしらし墨染の袖 |
Z08_0005B01: | ○向師所撰の往生至要訣一篇あり。近年開板して世 |
Z08_0005B02: | に流布す。 |
Z08_0005B03: | ○或曰。師は龜山院の御宇。文永二年に誕生して。光明 |
Z08_0005B04: | 院の御宇。貞和元年六月二日。八十三歲にして遷化 |
Z08_0005B05: | し給ふと云云。 |
Z08_0005B06: | ○師は能書にてもおはして。その手跡世に多し。親筆 |
Z08_0005B07: | の父子相迎などもあり。 |
Z08_0005B08: | ○或曰。洛西雙岡池上の西光庵はその閑居の地な |
Z08_0005B09: | り。考向阿上人傳ニハ歸寂ノ地ナリニ作ルかつて述懷の和歌ありといふ。 |
Z08_0005B10: | 池上にわれたにすまは吉水の |
Z08_0005B11: | なかれの末もたえしとそ思ふ |
Z08_0005B12: | ○或云。新千載雜下に。「おなし世をこ〻ろひとつにす |
Z08_0005B13: | みかへて。すつれはやすき我身なりけり。」と侍る |
Z08_0005B14: | も向師の歌なりとぞ。 |
Z08_0005B15: | ○右見聞のをよぶ處。ありのま〻にしるし侍りぬ。抄 |
Z08_0005B16: | 主。もとより光をつ〻み德をかくして。やすらかに |
Z08_0005B17: | 世をすぎ給ひつれば。その行化の事跡さだかなら |
Z08_0005B18: | ず。 |
Z08_0005B19: | ○應永の末に隆堯法印。此抄を縷梓せらる云云。永正 |
Z08_0005B20: | 年中。山門華王坊の圓信阿闍梨。細川高國居士の請 |