寛保二年(一七四二)—寛政一二年(一八〇〇)八月六日。実誉至誠。伊予国務司城むしじょう主村上頼冬の後裔。家門が衰微したため、安芸に移り、白米商となった。二五歳で光明院の了単のもとで出家し、苦修錬行にはげんで神泉寺に住み、民衆を教化した。井戸を掘り、道路・溝渠・堂廟などを修復するなど、社会事業に尽したことで名高い。また宮島特産の杓子(杓文字)の考案者ともいわれる。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:大屋正順】