要阿
提供: 新纂浄土宗大辞典
ようあ/要阿
生没年不明。聖光に面受したとされるため、おそらくは一三世紀中頃の人。姓は和淳。俗姓草野永平。筑後国の刺史であった。夫婦共に仏教に帰依し、特に浄土信仰に篤く、常に聖光のもとに参じて教えを乞うたという。妻作阿と共に城地を聖光に寄進し、三六の大殿や塔を建立してその地に伽藍を整えたとされ、これが久留米善導寺であると伝えられている。当時鋳造した洪鐘に寄付の銘を刻んだという。また要阿の夢告により、良忠は五十余帖の著作を残し、これが「報夢鈔」と呼ばれるようになった。
【資料】『聖光上人伝』、『鎮流祖伝』三、『然阿上人伝』(以上、浄全一七)
【参考】川添昭二「筑後善導寺の建立と草野氏」(『九州中世史の研究』吉川弘文館、一九八二)
【参照項目】➡報夢鈔
【執筆者:郡嶋昭示】