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東運寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

とううんじ/東運寺

東京都杉並区方南。念仏山。通称、釜寺かまでら。旧称、念仏堂。東京教区№一〇四。安寿姫と厨子王丸の念持仏であったという「身代わり地蔵尊」を安置している。異説もあるが、天正元年(一五七三)にこの地蔵を背負って関東に行脚あんぎゃした備前国の僧、願誉一安に、方南の大地主鈴木伊兵衛が帰依して自分の屋敷を寺に造り変え、一安を開基として念仏堂と号したといわれる。念仏堂は村持であったが、明和五年(一七六八)より祐天寺の末庵となった。念仏堂は明治以後に一時荒廃し、大正一一年(一九二二)に大村桂巌が下谷したや入谷いりや町(台東区)にあった東運寺を現在地に移転して合併し、念仏東運寺とし、中興開山となった。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『明顕山寺録撮要』五(『祐天寺史資料集』一〔下〕)、『新編武蔵風土記稿』一二四(『大日本地誌大系』六)、『下谷幡随院志』(浄全二〇)


【参考】『釜寺東運寺身代り地蔵尊縁起』(東運寺)


【執筆者:原口弘之】