とうき/東暉
元和九年(一六二三)—天和二年(一六八二)二月一八日。定蓮社良間。また勇猛観と号した。江戸時代前期の仏教学者。京都の人。一〇歳で良定袋中の門に入った。良信住関・良仙団雄・良聖貞龍らと同門。のち京都三条檀王法林寺四世となる。俱舎・唯識に精通し、参集する者が多かった。また、師袋中の著書を多く修補した。著書に『飯岡西方寺開山記』『首書略名目図』があり、聖冏『浄土略名目図見聞』の改訂も行った。弟子に良光聞証がおり、孫弟子には良照義山・中阿円智などがいる。
【資料】『鎮流祖伝』八(浄全一七)、『総系譜』上(浄全一九)
【執筆者:𠮷水成正】