明治二三年(一八九〇)—昭和四二年(一九六七)四月二日。満蓮社海誉功阿。字あざなは大信。東京市牛込区市ヶ谷の子爵日野西光善の八女。明治三三年(一九〇〇)奈良市法蓮山添町興福院こんぶいん広橋聖海に入門。第五教区宗学校付属尼衆校を卒業し、山下現有より宗戒両脈を相承。大正八年(一九一九)より長野善光寺大本願副住職を務め、同一四年に尼衆学校第二代校長に就任した。以後尼僧教育に尽力した。
【参考】大橋俊雄『浄土宗仏家人名事典近代篇』(東洋文化出版、一九八一)
【執筆者:市川定敬】