認識の主体としての我(自己)と、その我(自己)の所有するものの意味。我は絶対的に変化のない永遠の主体であり、我所はその所有物である。仏教ではそのような我の存在に否定的であるため、執着の生じる原因とする。
【執筆者:南清隆】