ぞんげい/存冏
応永一八年(一四一一)—明応八年(一四九九)三月四日。音蓮社釈誉。三河国信光明寺の開山。その家系は千葉氏であり、聖聡とは同族にあたる。聖聡のもとで出家した後、下総国飯沼弘経寺開山の良肇のもとで修学。宝徳三年(一四五一)、松平信光の帰依を受けて信光明寺の開山となる。文明一〇年(一四七八)には、松平、酒井一族の寄進によって諸堂伽藍を落成し、その翌年に後土御門天皇より勅願所の綸旨を授かった。弟子に存牛がいる。世寿八九歳。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一六(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』下(『増上寺史料集』七)、『総系譜』中(浄全一九)
【執筆者:加藤弘孝】