長野県上田市中央北。宝池山九品台院。長野教区№一二六。建久年間(一一九〇—一一九九)曽我十郎祐成の妾めかけ虎御前が、信濃善光寺に詣でた帰途、佐久郡落合村(長野県佐久市)に草庵を結んだことをはじまりとしている。永享五年(一四三三)寺堂を現在地に移して現在の寺名に改めた。江戸期には小県ちいさがた郡一宗の触頭ふれがしらとなった。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二六(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【執筆者:山野井亮秀】