現在の神奈川県鎌倉市大町の東部一帯の総称。難越が地名の由来になったと伝えられる。都市鎌倉の東の周縁部にあたり、三浦方面へ通じる要衝であった。北条時政以来北条氏の居館があった場所であり、執権北条義時の子朝時からはじまる名越氏が本拠地とした。三祖良忠の門弟尊観がこの地に善導寺を創建して布教に専念したため、後世その法流を名越派と称した。
【参考】鎌倉市史編纂委員会編『鎌倉市史』三・総説編(鎌倉市、一九五九)
【参照項目】➡名越派
【執筆者:𠮷水成正】