印はしるし、証明すること。可はよろしいと認めること。『観経疏』に「もし仏意に称かなえば、すなわち印可して、如是如是と言いたまう。もし仏意に可かなわざれば、すなわち汝等が所説、この義不如是と言いたまう。印したまわざる者は、すなわち無記・無利・無益の語に同じ。仏の印可したまう者は、すなわち仏の正教に随順す」(聖典二・二九〇/浄全二・五六下)とある如く、主に仏や師僧によって、弟子が法を体得したことを許可、承認する場合に用いられる。
【執筆者:兼岩和広】