一六~七世紀頃、生没年不明。武蔵国に生まれる。幡随意のもとで研鑽を積み、門下の中でも名高かったことから番頭位となり、多く城中の論議会に与かった。後、世事を離れ、湖北浅井郡に隠棲。世人は二〇年もの間、円澄がかつて俊傑として名を馳せていたことを知らなかったが、円澄示寂の際、衣鉢を受けとった随公が落涙したことから、世人は皆、真の隠者であると円澄の高風を慕ったという。終焉の地は小今(滋賀県長浜市湖北町)の阿弥陀寺である。
【資料】『鎮流祖伝』六(浄全一七)
【執筆者:加藤弘孝】